ヒルトン東京 お台場VSグランドニッコー東京 台場
なんだか、ねじれた状況で、第二次お台場ホテル戦争が始まってるのかなぁ。
なんだか、へんてこな状況ですねぇ。
ホテル日航東京がヒルトン東京 お台場(2015年10月1日リニューアルオープン)。
ヒルトン東京お台場 [旧 日航東京] をちょっと見てみる
ホテル グランパシフィック LE DAIBAがグランドニッコー東京 台場(2016年7月1日リニューアルオープン)。
グランドニッコー東京 台場 [旧ホテル グランパシフィック LE DAIBA] をちょっと見てみる
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グランドニッコー東京 台場HPより
ん?日航ブランドがお隣のホテルに移ったってことなんですが、あれこれ確執があったようで。
話の発端は、2015年10月1日からホテル日航東京がヒルトン東京 お台場に看板の架け替えというか、運営会社をオークラからヒルトンに変えたところから始まってます。
正直な話オークラからすればせっかく手に入れた美味しいホテルから、うまみを引き出せないうちに掘り出された格好でしたね。なんせ、ホテル日航東京は婚礼で年間1.000組を超えてましたからねぇ。ま、それでもバブル期の負債がかさんでJAL出資のオーナー会社は火の車だったし、運営のJALホテルズ自体は好調だったが本体JALの負債圧縮の一端でオークラに売られたんですが。
そんな状況でも、あれこれ建設時のしがらみや負債がなければ十分に利益を出せるホテルでしたから。ま、あれこれ変遷があって現在のオーナー会社の米資産家ポール・シンガー氏率いるヘッジフ ァンド運用会社エリオット・マネジメントはJALホテルズ(親会社オークラ)が手ぬるいと感じてたんでしょうね。いろいろ内資は判断が遅いからねぇ。
ヒルトン東京お台場 [旧 日航東京] をちょっと見てみる
結果として掘り出された格好のオークラにしてみれば、納得がいかないというか格好がつかないとゆうかねぇ。内資の雄としては忸怩たる感じだったんでしょうね。
ホテル・グランパシフィック・メリディアンとして開業し、2008年6月1日にホテル グランパシフィック LE DAIBAなったグランドニッコー東京 台場すぐ裏のホテルが、土地建物がヒューリックに買収された折にホテル運営をしていたホテルグランパシフィック株式をオークラ買収。こんな構図でお台場に舞い戻ってきたんです。
グランドニッコー東京台場HPより
うーん、どうなのかなぁ、この選択は。
いわくつきだからなぁ、グランドニッコー東京 台場の物件は。
最初のホテル・グランパシフィック・メリディアンは都市博に合わせて開業予定が中止で、スタッフまで集めていたのをいったんバラシてしまった。同じころに着工していたホテル日航東京は工事を続行して1996年にオープン。それなりに人気も出て好況だったのを見て慌てて工事再開、1998年にオープン。始めのころこそ外資の運営でお洒落なスポットとして人気もあったけど、外資御三家(フォーシーズンズ椿山荘、パークハイアット東京、ザ・ウエスティン東京)が出来たあたりで失速。ホテル グランパシフィック LE DAIBAにリニューアルかけたけど、客室単価は低位安定って感じだったなぁ。見晴らしも悪くないし、高さもあるけど、目の前のホテル日航東京の開放感やリゾート感と比べると見劣りがするんだよね。
現状ではレインボーブリッジ側のお部屋は2万円台前半で両ホテルとも推移してるけど、この先東京オリンピック以降にどうなるか見もの。
オークラとしては現在本館の立て直し中で人員に余裕があるから、グランドニッコー東京 台場に中堅の仕事の出来る人達を厚めに配置してる。このスタッフ達がいる内にどれくらいサービスレベルがあげられるかにかかってる感じかな。
レインボーブリッジを挟んでのJRの新ホテルなどとも競合してくるし、ホテルインターコンチネンタル東京ベイもあれこれテコ入れしてるし。
ホテル インターコンチネンタル 東京ベイ をちょっと見てみる
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